博多祇園山笠奉納 令和4年7月15日 |
新型コロナの厳しい状況下でしたが、15日までの舁山行事はほぼ例年どおりに行われました。当番町つノ一の皆さん、長い期間本当にお疲れ様でした。
山笠関係者は、当面の間ご自身の健康状態を注視してください。 |
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3年ぶりの舁山始動! 令和4年7月1日 |
記録的な早さで梅雨が明け、強い日差しが照りつけた1日夕方、山笠当番町つノ一が、筥崎浜(福岡市東区)で真砂を取る当番町お汐井取りを行いました。実に3年ぶりとなる舁山がいよいよ始まりました。
[9月1日追記] 気象庁は本年の梅雨明けを6月28日から7月22日に修正しました。 |
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飾り山笠公開 令和4年7月1日 |
1日朝、市内13ヶ所で飾り山笠が公開されました。写真は、大黒流内に建つ九番山笠 博多リバレイン 標題「西国無双忠節誉」総務
山本成嗣と、十五番山笠 川端中央街 標題「京牛若丸伝」総務 竹ヶ原政徳 |
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コロナ感染予防ガイドライン 令和4年6月1日 |
3年ぶりの舁山行事催行を前に、博多祇園山笠振興会より、新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン(PDF)が示されていますので、山笠行事に参加する方は内容の認知と実行をお願いします。
[6/19追記] 詳細については自町の取締が示す指針に沿って行動してください。 |
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博多松囃子が無事終了 令和4年5月4日 |
五月晴れの中、参加人数を制限して今年も博多松囃子が開催されました。なお、博多どんたく港まつりのパレードや舞台は3年ぶりの実施となりました。本年より大黒流では、松囃子と山笠の世話当番を異なる町が受け持ちます。
(写真:3日 櫛田神社にそろった三福神) |
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本年の博多祇園山笠開催方針決定 令和4年4月20日 |
博多祇園山笠の舁山行事を3年ぶりに催行することが、20日の山笠振興会総会で決定しました。令和2年はほぼ全ての行事が中止、令和3年は主に飾り山の建設のみでした。 |
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令和4年のページ更新
令和4年のページに山笠の写真等を多数掲載しました。ご協力いただいた皆様ありがとうございました。
(写真:追山櫛田入 棒捌 井上明広、右肩 小西博明、左肩 芳賀大樹) |
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スタジオソマダさんの写真追加
毎年櫛田入を撮影してあるスタジオソマダさんから、追山馴し32枚、追山12枚の写真をご提供いただきました。画像は別冊大黒流総合サイト
スタジオソマダからご覧いただけます。
(写真:追山馴し櫛田入 棒捌 小西晃、右肩 後藤哲也、左肩 瀬戸聖志)
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旧町時代の地図を再公開
長らく閲覧できなくなっていた旧町時代の地図を再公開しました。表示の柔軟性は以前のページよりも劣りますが、明治24年/昭和2年/現在の地図、町名を切り替えながら見ることができます。
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江戸中期から119年間の当番町一覧
安永九年(1780年)から明治32年(1899年)までの、各流の当番町を記した「山笠当番町一覧」(福岡市博物館所蔵)を、古ノ一浦ア千代始さんが書き起しされました。
(PDF)
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昭和27年の集合写真
すノ三安河内町総代から、旧町時代の写真をご提供いただきました。右の写真は、昭和27年九番山笠
当番下鰯町の町内集合写真です。名簿と他写真は昭和27年のページに公開しています。 |
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三番山笠
標題 勇猛漢周而不比
人形師 西山陽一
当番町 つノ一の地域には、かつて対馬藩の蔵屋敷があり、これが対馬小路の地名の由来になっています。人形は縁の対馬藩初代藩主
宗義智。
つノ一は博多中学校周辺の大黒流で最も浜側に位置する町です。かつて港湾関係で栄えた 下対馬小路大下は町名町界改変後、対馬小路(つましょうじ)となりました。
明治から昭和にかけて博多の中心的な商店街として栄えた下新川端町。平成11年に再開発で博多リバレインができたのちも、旧来からの組織を守り続けています。
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