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大黒流とは
 
  大黒流の構成町
 
  古ノ二 古門戸町二区
  寿 通 壽通
  つノ二 対馬小路二区
  すノ一 須崎町一区
  つノ一 対馬小路一区
  下 新 下新川端町
  麹 屋 麹屋番
  古ノ一 古門戸町一区
  川 中 川端中央街
  すノ二 須崎町二区
  川 端 川端町
  すノ三 須崎町三区
 
  旧町時代の大黒流 
 
  大黒流の地図
 
  座談会・対談

 

大黒流は豊臣秀吉の「太閤町割り」(1587年)に由来する博多七流のひとつです。明治初期までは洲崎流と称していました。名称は大黒天(大国主命・おおくにぬしのみこと)に由来します。博多の伝統を受け継いで毎年五月には博多松囃子、七月には博多祇園山笠を奉納しています。


松囃子記念大黒面


流(ながれ)とは複数の町でつくる自治組織です。約430年前に戦禍をこうむった博多を復興させるために、豊臣秀吉がおこなったいわゆる区画整理 「太閤町割り」 に由来します。

大黒流は博多川東岸一帯の12ヶ町で構成しています。流としてのさまざまな行事は各町の合議によっておこなわれます。博多には中世から住民による自治がごく自然な形で息づいます。大黒流でも各町の自治を最大限に尊重し、特定の町や人に権限が集中することを避けるなど、当時の住民自治精神の典型をみることができます。

各行事での取り決めや約束事を最終的に了承する際に、博多では 「手一本(ていっぽん)」 とよばれる、独特の手打ちを行います。大黒流も各町の話し合いの最後には出席者全員で 「手一本」 を入れて 「後日異議のない」 ことを確認し、12ヶ町が結束して行事をすすめます。しきたりや伝統はそれぞれの町ごとに親から子へ、先輩から後輩へと伝えられています。

現在の12ヶ町は行政区画上の町ではなく、太閤町割り以来の旧町を山笠・松囃子運営のために流独自で再編成したものです。明治以降の大黒流の足跡を振り返っても、博多大空襲、福岡市による町界町名整理、近年の下川端地区再開発事業などさまざまな危機に直面しましたが、町の存続にかける住民たちの努力によって現在の12ヶ町が維持されているのです。

大黒流では毎年5月3日と4日に博多どんたくの起源である 「博多松囃子(まつばやし)」 を継承し、7月1日から15日には博多の総鎮守・櫛田神社への奉納行事 「博多祇園山笠」 をおこなっています。

 








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