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明治期に電線の懸架で舁山は低くなりましたが、山小屋には従来どおり背の高い山笠も建て飾っていました。
写真は麹屋番が当番を務めた年のもので、前列には「年寄帷子(としよりかたびら)」を着た年寄りが並んで写っています。 |
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意匠豊かな旧町当番法被姿の記念写真です。当時は大黒流と山笠当番で舁山と飾り山を建てていました。
福岡大空襲で戦前の史料の多くが焼失したために、現存する写真はわずかです。 |
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戦後、がれきの中から山笠が再出発したときの写真です。この年大黒流は一番山笠として櫛田入りを果たしました。
前列右から4番目に博多祇園山笠振興会の初代会長落石栄吉氏の姿がみえます。 |
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福岡市による町界町名整理で流の運営は苦境に立たされましたが、町の再編などによってその危機を乗り越えました。
写真は町界町名整理が行われてから最初の山笠です。 |
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再開発により下川端地区各町の存続が危ぶまれましたが、住民の努力で町を維持しました。
写真は逆境のなか世話当番の務めを果たした下新川端町です。 |
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