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大黒流の史料
 
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明治29年 (1896年)

周囲の建物よりもひときわ高く建てた当時の山笠。舁き廻る姿は圧巻だったと想像できます。
博多の中心的な商店街であった下新川端町の当番記念写真です。


大正4年 (1915年)

明治期に電線の懸架で舁山は低くなりましたが、山小屋には従来どおり背の高い山笠も建て飾っていました。
写真は麹屋番が当番を務めた年のもので、前列には「年寄帷子(としよりかたびら)」を着た年寄りが並んで写っています。


昭和13年 (1938年)

意匠豊かな旧町当番法被姿の記念写真です。当時は大黒流と山笠当番で舁山と飾り山を建てていました。
昭和20年6月19日の福岡大空襲で戦前の史料の多くが焼失したために、現存する写真はわずかです。


昭和24年 (1949年)

戦後、がれきの中から山笠が再出発したときの写真です。この年大黒流は一番山笠として櫛田入りを果たしました。
前列右から4番目に博多祇園山笠振興会の初代会長落石栄吉氏の姿がみえます。


昭和41年 (1966年)

福岡市による町界町名整理で流の運営は苦境に立たされましたが、町の再編などによってその危機を乗り越えました。
写真は町界町名整理が行われてから最初の山笠です。


平成10年 (1998年)

再開発により下川端地区各町の存続が危ぶまれましたが、住民の努力で町を維持しました。
写真は逆境のなか世話当番の務めを果たした下新川端町です。





昭和29年 (1954年)

戦後数年目には博多に子供たちの「言い立て」と太鼓の音が鳴り響きました。 松囃子は戦後の暗い気持ちを払拭しました。


昭和45年 (1970年)

昭和41年の町界町名整理で大黒流は新体制となりました。
この頃、上五ヶ町はブロックで当番を務めており、昭和45年には傘鉾が6本もそろいました。




写真は「年度別」ページに多数掲載しています。




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