明治43年(1910年)に市内電車が開通したため舁山と飾り山を分けて建てるようになりました。 この写真は麹屋町(麹屋番)の当番記念写真で、前列には「年寄帷子(としよりかたびら)」を着た年寄りが並んで写っています。右の建物は当時の復古堂です。
昭和3年に一番山笠を務めた大黒流の飾り山です。当番の中対馬小路(現在の古ノ一、すノ一、すノ三 の一部)には、博多祇園山笠振興会初代会長落石栄吉氏が所属していました。
下対馬小路大下(おおじも)(現在のつノ一)が初めて当番を務めた時の飾り山です。 この頃の舁山は、飾り山から引き出した山台に飾り物をつける「引き出し山」でした。同様の手法は、中洲、東、千代流で現在も見ることができます。