山笠振興会新年総会 令和6年1月28日 |
博多祇園山笠振興会の新年総会が、櫛田会館で開催されました。今年は大黒流が一番山笠であるために、総務の柴田潔孝町総代(麹屋)が副会長に就任しています。また、山笠振興会本部員として、本年度から
福本潔元取締(古ノ二)(写真)が就任しています。 |
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博多祇園山笠奉納 令和5年7月15日 |
4年ぶりに一切の制限なく、通常開催された今年の山笠が、15日早朝の追山で幕を閉じました。当番町下新の皆さん、各町の皆さん大変お疲れ様でした。ご通行中の方々や警察には、運行のご協力をいただきありがとうございました。
(台上り:下新 田中取締) |
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当番町お汐井取り 令和5年7月1日 |
1日夕方、山笠当番町下新が、筥崎浜(福岡市東区)で真砂を取る当番町お汐井取りを行いました。
写真:帰路 提灯を掲げて櫛田神社へ向かう当番町
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飾り山笠公開 令和5年7月1日 |
1日朝、市内13ヶ所で飾り山笠が公開されました。写真は、大黒流内に建つ、十七番山笠 博多リバレイン 標題「龍虎相討川中島」総務
山本成嗣と、十四番山笠 川端中央街 標題「曾我の夜討」総務 竹ヶ原政徳 |
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大黒流昭和会の新会長に樋口さん 令和5年6月25日 |
落成したばかりの櫛田会館で、25日、恒例の大黒流昭和会夏季懇親会が開催されました。
冒頭で泉勝彦会長の退任の意思が伝えられ、後任に推薦された樋口葛尚川端町前町総代が、満場一致で新会長に就任されました。 |
新しい櫛田会館が落成 令和5年6月19日 |
令和7年に行われる櫛田神社の式年遷宮を機に、遷宮事業として改築が進められていた櫛田会館が、19日に落成しました。一階には博多祇園山笠振興会と 博多松囃子振興会の事務所が入居し、二階は大広間になっています。
(写真:翌20日に開催された山笠振興会総会) |
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博多座大歌舞伎 船乗り込み 令和5年5月31日 |
雨上がりの博多川で、歌舞伎役者の博多入りを知らせる「船乗り込み」が4年ぶりに開催されました。大勢の見物客の声援が響き、コロナ前の賑わいが戻ってきました。 パンフレット |
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博多松囃子が無事終了 令和5年5月4日 |
コロナ禍前に近い形で無事に博多松囃子を催行することができました。松囃子当番町麹屋番の皆さん、各町の皆さん大変お疲れ様でした。なお「博多どんたく港まつり」は4年ぶりに通常開催となりました。
(写真:3日 櫛田神社を出発する大黒天) |
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令和5年のページ更新
令和5年のページに山笠の写真等を多数掲載しました。ご協力いただいた皆様ありがとうございました。
(写真:追山櫛田入 棒捌 田中真、右肩 宮ア篤、左肩 南原嘉人) |
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ギャラリー更新
令和5年の山笠の写真を 大黒流ギャラリーで公開しました。毎年ご協力いただいている
川端 平塚直樹さんの写真に加え、下新のカメラマン高山展誉さんの写真などにより、例年になく充実したものになっています。 |
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スタジオソマダさんの写真追加
毎年櫛田入を撮影してあるスタジオソマダさんから、令和5年 追山馴し23枚、追山27枚の写真をご提供いただきました。画像は別冊大黒流総合サイト
スタジオソマダからご覧いただけます。 (写真:追山馴し櫛田入 棒捌 田中明、右肩 戸川義之、左肩 三宅洋)
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大下の当番記念写真
下対馬小路大下(おおじも)(現在のつノ一)が初めて当番を務めた昭和12年(1937年)の飾り山の写真を、九州大学名誉教授、福岡アジア都市研究所理事長
安浦寛人様よりご提供いただきました。
この頃の舁山は、飾り山から引き出した山台に飾り物をつける「引き出し山」でした。この写真により見送りの標題は「一谷之追討」ということが判明しました。 年表(昭和)
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95年前の集合写真
昭和3年(1928年)一番山笠大黒流の飾り山です。当番の中対馬小路(現在の古ノ一、すノ一、すノ三
の一部)には、博多祇園山笠振興会初代会長 落石栄吉氏が所属していました。
写真は、博多川端どさんこの店主 岩永太郎様からご提供いただきました。
年表(昭和)
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旧町時代の地図を再公開
大黒流の地図をリニューアルしました。
明治24年/昭和2年/現在の地図、町名・町域を切り替えながら見ることができます。 |
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令和六年 山笠 世話当番町
麹屋番
町総代 柴田潔孝
取 締 河原田健嗣
麹屋番は博多六町筋の一つで、江戸から明治にかけて大いに栄えた古い商家町です。麹屋が多かったことがその名の由来とされ、大黒流では現在も旧町名を踏襲しています。
古ノ一は、明治期に一世を風靡した新派劇の創始者川上音二郎や、博多祇園山笠振興会の初代会長落石栄吉氏を輩出した中対馬小路などの旧五町の統合により成った町です。
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