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妙楽寺はその昔博多湾岸の沖の浜にあり遣明使一行が宿泊するなど対外交渉の一拠点になっていた寺で山号は石城山、石山の商人と呼ばれるほど石垣に囲まれた寺内で海外貿易が行われるほど大きな寺であったといわれる。町名はこの妙楽寺に以来する。
妙楽寺町は現在の古門戸一区二区の中で南北に伸びる縦筋の向かい合った家で構成された町で、南側半分の縦筋の向かい合った家は 妙楽寺新町 と言い独立した町名であった。
昭和の町名変更までは「妙楽寺新町」は存在したが山笠、松囃子への参加は戦前から吸収されて妙楽寺町として参加していた。以前は「妙楽寺新町」として参加していたがふた周りに一度に世話当番を務めていたほど住民は少なかった。
ここに紹介している当番法被・水法被は「妙楽寺」のもので、「妙楽寺新町」の法被は現在保有者がなく福岡市博物館に展示されているレプリカのみである。 [H17.4.11 浦ア千代始]









     
     





     
     







当番法被 水法被 提灯
 
   
  上:赤子水法被  





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