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現在のホテルオークラ(下川端町)北側から農林中央金庫(須崎町)にかけて存在した町。博多川に架かる東中島橋は城下福岡と箱崎往来の本通りとなる主要な橋であり、橋口町は文字どおり橋の渡り口にあった。川端町下(川端町)と鰯町上(上鰯町)も交差する四辻を有し、幕末の頃は綿屋、紙屋、絞屋などの大店が繁盛した裕福な町であった。藩のお触れを知らせる制札が橋のそばに立てられたことから「札の辻」ともよばれていた。
戦災後の都市計画で昭和通りが整備される際に町の大半を失い、昭和41年(1966年)2月の町界町名整理によって町は事実上消滅した。最後に大黒流の当番を務めたのは昭和16年(1941年)のことであった。
現存する当番法被がまだ見つかっておらず、福岡市博物館に所蔵されるものは写真を参考に博物館が独自に制作したものである。 |
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