|
明治初期から通称で認知されていた「倉所町」は、明治26年(1893年)に隣接する妙楽寺町から独立する形で正式な町名となった。
町名の由来はこの地にあった秋月藩の四番めの蔵屋敷で、その蔵屋敷は明治4年(1871年)の廃藩置県後は袖の港小学校となった。現在古門戸町9番地に祀られている「秋四郎神社」は蔵屋敷の守護と繁栄を祈り秋月藩祖黒田長興公と稲荷様を合わせ祀られたもので、倉所町の名残といえる。
昭和13年(1938年)には一番山笠の当番と同年の「伊国親善使節歓迎臨時山笠」の当番を務めている。また、戦後は昭和31年(1956年)四番山笠の当番を務め、その後昭和41年(1966年)の町界町名整理で古門戸町(二区)と、対馬小路(二区)に二分された。[H17.3.9
山中重雄] |
 |
 |
昭和13年 |
昭和13年臨時山笠 |
 |
 |
 |
昭和26年 |
昭和26年 |
昭和26年 |
 |
 |
 |
昭和26年 |
昭和29年 |
昭和29年 |
 |
 |
 |
昭和32年 |
昭和32年 |
昭和34年 |
 |
 |
|
昭和36年 |
昭和36年 徳重純司 |
|
 |
 |
 |
昭和40年 |
昭和40年 |
昭和40年 |
|
当番法被 |
水法被 |
提灯 |
 |
 |
 |
 |
 |
|
 |
|
|
 |
|
|
上:珍しい綿生地の法被 (拡大) |
|
|
|