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壽通のはじまりは明治13年(1880年)に川端町と片土居町の間の水路をふさいでつられた横筋の通りで、当時は新道とよばれた。
賑わっていた掛町につながると通りは次第に活況を呈するようになり、大正12年頃には女性を対象にした商店が集まる華やかな商店街となった。その後博多部の発展とともに、中間新道、仲新道などもできて通りを寿通と改称した。
福岡大空襲で全滅したが、戦後の区画整理で南に十数メートル移動し道幅は3倍となって、昭和22年(1889年)7月に商店街が復興した。
なお、博多を横断していたその水路は、もともとは中世の国際貿易港「袖の港」が江戸時代に埋め立てられたものであった。 |
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