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筋向かいの家々で 「町」 ができていた昭和40年以前、大黒流は16ヶ町(昭和40年時点)で構成していました。しかし昭和41年に町界町名整理がおこなわれ、旧来から受け継がれてきた
「町」 がいくつか消えました。大黒流の運営も苦境に立たされましたが、町の再編などによってその危機を乗り越えました。 |
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以上は昭和39年時点に流の行事運営に加わっていた各町で、当時の世話当番順に記載しています。 |
上記3町は昭和41年(1966年)2月の町界町名整理まで存在しましたが、町の衰退により晩年は流の行事に単独参加していなかった町です。
なお、掛町の法被は現存品を元に、新町と橋口町の法被は写真を参考に、福岡市博物館が制作したものを掲載しています。(橋口町の法被画像はCGです) |
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